みなさんは日本におけるボウリング発祥の地が長崎だと知っていましたか?
実は今から160年前の6月22日に、日本で初めてのボウリング場が大浦居留地にオープンしたんです!そのことは新聞広告で紹介され世にその存在を知らしめることとなりました。これに由来し日本ボウリング場協会は6月22日を「ボウリングの日」と決めました。
今回は日本初のボウリング場ができた歴史や長崎市内にあるボウリングにまつわる記念碑なども一緒にご紹介しますね♪
1861年【わが国においてボウリング発祥の地】となった長崎
ボウリング発祥の地という記念碑は東京・横浜など各地にもありますが、日本で初めてボウリング場が開設されたのは長崎です。例えば東京だと「民間初のボウリング場が開設された」という歴史があり、横浜は長崎に次いで日本で2番目に開設されたという記念で碑を建てました。このように、各地にそれぞれの発祥の意味があるようです。
さて長崎の話に戻りますが、長崎でボウリング場がオープンしたのは1861年(文久元年)のことです。当時は大浦居留地にありましたし、外国人向けのボウリング場だったそうですよ。細かい場所は「唐人屋敷波止場」の近くにあった、広馬場という所です。
日本人初のボウラーは坂本龍馬⁈
坂本龍馬が長崎で亀山社中を結成したのは、1865年です。長崎にボウリング場がオープンしてから約4年ほど経っていますね。龍馬はトーマスグラバーとも交流があったことから、主に外国人が利用していたボウリング場にも来ていたかもしれないと考えられています。
そう、あくまで龍馬が日本人初のボウラーだという話は噂なんですね。もしかしたら本当に龍馬かもしれないし、そうだったらいいなぁということみたいです・・・。
うーん、でも龍馬だったらあり得るかも!と私も思います。龍馬がもしもボウリングをしていたら、「スペアぜよ!」とか「あー、ガーターぜよ…!」とか言ってたかもしれませんね^^
日本初の英字新聞にボウリング場オープンの広告が掲載!
1861年に大浦で日本初の英字新聞「ナガサキ・シッピングリスト・アンド・アドバイザー」が創刊され、6月22日には「本日開業」というお知らせを書いたボウリング場の広告が掲載されました。この日を記念して日本ボウリング場協会が、毎年6月22日は日本における「ボウリングの日」と制定したのです。
お~、日本初の英字新聞とは何だかカッコいい(笑)こういった史実もあることから、ボウリング場がオープンした時期は長崎が一番最初だと証明できますし、発祥の地で間違いなさそうですね。てことで長崎にはボウリング発祥の記念碑がある訳ですが、実は2つあるんです!
ボウリング発祥の地として記念碑が建設!
日本で「ボウリングの日」が制定されたのは、1972年のことです。それからしばらく経った1990年に、長崎市には「日本ボウリング発祥の地」として記念碑が建てられました。記念碑はさりげなく建っているので、みなさん今までに気付かずに通り過ぎていたかもしれませんよ。
四海樓横にある記念碑
路面電車に乗り「大浦天主堂下」で降りたら、四海樓に向かいます。割と目立つので、すぐに見つかりました。
ふむふむ。こちらにも、日本初の英字新聞「ナガサキ・シッピングリスト・アンド・アドバイザー」に掲載されたいたことからボウリングの日を制定したと書かれていますね。
日本で最初のボウリング場「インターナショナル ボウリングサロン」が長崎居留地内で開場され、日本のボウリング発祥の記念として建てられたという内容が書いてあります。
では次に、この四海樓からすぐ向かいにあるグラバー園へ続く坂道を登っていきまーす。
本当にすぐ目の前にあります。記念碑からグルっと回ったら、坂道が見えてます。
坂道の途中にある記念碑
「赤い自動販売機」が目印だと聞いていたんですが、知らなかったら通り過ぎていたかも・・・。全然目立たないところに建っていました(汗)
こちらは、「ボウリング日本発祥地」という文字のみです。坂道を登り始めてすぐに建っていましたよ。全く説明が書いていないので、ちょっとミステリアスな雰囲気を醸し出しています。
↓↓ どうでもいい?気になる? ↓↓
「ボーリング」を「ボウリング」に訂正したような感じですよね。「ウ」に違和感が・・・。以前は「ボーリング」となっていたのかもしれませんね。ちなみにこちらは四海樓横の碑との関係性は謎です。
当時の出来事を振り返り記念碑も紹介してきましたが、いかがでしたか?ボウリング発祥から日本初の英字新聞のことまで、意外な歴史が出てきましたね♪やっぱり長崎の文化はとても奥深いです!