毎年8月15日には長崎のお盆の伝統行事「精霊流し」が行われます。
花火や爆竹が鳴り響き、耳栓が必要なほど賑やかにな様子は、県外の人に珍しがられるほどです。小さいころから当たり前のように見ている人もいると思いますが、今回は精霊流しの歴史や風景をご紹介したいと思います。
- 長崎の精霊流しの概要
- 歴史について
- 8月15日の風景
- 精霊流しはどこで見れるのか?
- 精霊流しがテーマの曲や映画
以上5つのテーマに分けてまとめていきます。
長崎で行っている精霊流しの概要
亡くなった人の魂を弔うために、8月15日に初盆を迎えた遺族が手作りの船を曳いて街中を歩きます。大小様々な船があり、自治体共同で出す船もあります。
当日は精霊船を曳いて、最終地点の「流し場」を目指し歩きます。流し場にたどり着くまで、花火を打ち上げたり爆竹を鳴らし、鐘の音や掛け声でとても賑やかです。その様子は、初めて目にした県外の人が「お祭り」と勘違いするほど。
船には提灯や造花が飾られ、亡くなった人の趣味を表すなど個性的な船も多く見られます。
精霊流しの歴史は江戸時代から始まった?
画像引用:長崎歴史文化博物館
精霊流しの歴史は諸説あり、1番有力だと言われているのは中国の「彩舟流し(さいしゅうながし」が伝わってきたという説です。
彩舟流しとは、江戸時代に中国から貿易や通訳のために長崎へ来ていた人達が、航海途中や長崎で亡くなることがあったため、その人達を弔うために行っていた行事です。
毎年「小流し」といって約4mの舟を造り、荷物や人形を乗せて法要をした後は、船を燃やしたそうです。約30年ごとに行われる「大流し」では、7m以上の実物大の舟を造り、大流しも唐人屋敷の前の海岸に浮かべられた後は、最後に焼かれていたそうです。この彩舟流しは、明治維新後にはなくなりました。
派手に鳴らされる爆竹も、彩舟流しの影響とされています。中国では爆竹に「魔よけ」の意味があるそうです。そのため爆竹は精霊船が通る道を清める為に使われています。
8月15日の精霊流しの風景
当日は夕方近くになると、チャコン、チャコンという鐘と、「ドーイ!ドーイ!」という掛け声が響き始めます。ドーイという掛け声は、「南無阿弥陀仏」がなまった言葉だと言われています。
意味を聞いても、どうやって「南無阿弥陀仏」からドーイになまっていくのか不思議ですね・・・。いまだに謎の掛け声です。
それから、舟を流している人たちは花火を打ち上げたり、次から次へと爆竹を鳴らし歩き続けます。その様子は子供にとっては恐怖で、トラウマになる人もいます。(私も大人になるまで、鐘の音が聞こえ始めると外に出るのが怖かったです)
近くで精霊流しを見るなら、耳栓を用意しておいたほうがいいですよ!コンビニでも、お盆になると耳栓がレジの近くに置いています。
精霊流しはどこで見ることができるの?
長崎市内に住んでいると、近所から出発する場面を見れることもありますが、精霊船が通るメインのコースは毎年決まっています。
- 思案橋~観光通り電停
- 旧 県庁坂
- 夢彩都
この辺りは夕方に交通規制が始まり、見物する人も多い場所です。このルートを通る船の流し場(最終地点)は、県庁前の交差点付近(元船町)や夢彩都付近にあり、他にも2カ所ほどあります。
流し場は毎年ほぼ同じ場所ですが、場所が確保できなかったりするなど、状況によって変わることもあります。
精霊流しがテーマの曲や映画について
1974年4月25日、さだまさしさんがヴォーカルを務めていた「グレープ」というグループが「精霊流し」という曲を発表しました。長崎市出身のさださんが、亡くなった従兄の精霊流しの思い出をモチーフにして作った作品です。
全国的にヒットした曲になりましたが、長崎で精霊流しを初めて目にした観光客は「聞いていた歌と違う!」と驚くそうです。静かな曲なので爆竹が鳴り響く派手な精霊流しのイメージはなかったでしょうね。
2001年には、さださんの自伝的小説として「精霊流し」が刊行され、テレビドラマや映画化もされました。映画では長崎もロケ地として使われましたよ!
花火や爆竹で一見華やかに見えますが、本来は大切な人を送るための伝統行事です。見物する側の私も、このことを忘れずに精霊流しを見送っていきたいと思います。