千々石ミゲルの墓石発見!?
長崎市内では出島の発掘調査・復元事業が進められていますが、諫早では天正遣欧少年使節の一人「千々石ミゲル」の墓と思われるものの発掘プロジェクトがスタートしました。
小学生の時とか教科書に載っていて面白い名前だなぁ・・・という印象しか残っていない方もいるかもしれませんが
これ・・・世界レベルのニュースになりますよ!?
皆さん知ってましたか?すでにカウントダウンが始まっています。
まじですよ、これ(  ̄ー ̄)ニヤリ
写真撮って来ました(写り込んでるの私)。この石碑が、千々石ミゲルのお墓と思われているもの。長崎県諫早市多良見町山川内にあります。
みかんがとっても美味しい地域ですよ(笑)。「たらみ」のゼリーで有名な、その「多良見」です。
今は「千々石ミゲルの墓と思われる石碑」とか「千々石ミゲルと見られる墓石」とか、記されています。
2003年に、石造物の研究家、大石一久先生が「こ、こ、これって、千々石ミゲルの墓じゃね~かぁ!?」と、発表したのが事の始まりで、当時も全国的に様々なメディアで取り上げられました・・・「おもいッきりイイ!!テレビ」とか「その時歴史が動いた」だとか、覚えてます(・。・?
大石先生、本も出してますよ。かなり面白いです!
それから十数年、ずっと、地道に調査が行われておりました。が、とうとう本格的な発掘調査がスタートします。
2016年11月に、発掘調査の実行委員が発足し、実行委員会長に就任したのは、元長崎県副知事で長崎総合科学大理事長の立石暁さん。
今、調査に向けての準備がすすめれています。
どうして、世界レベルなのか?
さて、さて、さて、さて
で、何がそんなに凄いニュースなのか??
日本には、天正遣欧少年使節の史料が無い!
千々石ミゲルといえば
もちろん四少年の1人で、天正遣欧少年使節のメンバーです。
キリシタン大名の名代として、戦国時代にヨーロッパに渡り、ローマ教皇にまで謁見を果たした、教科書にも出てくる有名な歴史上の人物。
天正遣欧少年使節とは?
第一に、ローマ教皇庁に、日本宣教の援助を依頼する。
第二に、日本人に、本場ヨーロッパのキリスト教世界を見聞・体験させ、帰国後、その栄光と、偉大さを、「まじ、ヨーロッパはんぱね~」と、少年達、自らに語らせることにより、布教に役立てる。
という目的のもと結成された使節団です。企画したのはイエズス会。
な、ん、で、す、が!
実は、この日本には、天正遣欧少年使節についての史料は、まったくと言っていいほど、残っていません。もちろんヨーロッパには、四少年の史料は、たくさんあります。
でも、日本では皆無です。もし、この墓石が本物ならば、日本において唯一の天正遣欧少年使節の史料(史跡)となります。すごいです!
千々石ミゲルは謎だらけ!
ミゲルさんって謎多き人物なんです。四少年で一人だけ、なぜかキリスト教を棄てたと言われていますし、晩年をどこで過ごしたかも定かではありません。でしたが、この墓石発見が、どうやらいろんな謎を解き明かすカギになりそうです。歴史が修正されるかもしれません。
と、いうわけで、いろんな意味で、この墓石が「千々石ミゲルの墓」と確定すれば、「歴史的大発見」と、なるのです!
今、千々石ミゲルの墓である確率は、95%をこえる!と、言われています。歴史的瞬間が、間もなくおとずれます。