長崎移住連載マガジン
『オーセ、長崎でコーヒーやってみない?』
旧知の知り合いであるM氏からの1本の電話。
最後まで話を聞く事なく、即答した事が全ての始まりだった。
マンネリ化した東京の生活にも嫌気が差していたし、何より直感的に楽しそうだなぁという感情が芽生えたのだ。
ダンボールを掻き集め、すぐさま引越しの準備に取り掛かる。
ほとんどの物は捨て、ほとんどの物はリサイクルショップに引き渡した。
(そして少しの陶器やら服やら本やら…は、祖母の家に送った)
『…あれ?!ところで長崎ってどんな所だ?』
そう。
恥ずかしながら私は長崎未上陸だったのだ!
(ちゃんぽんすら食った事がなかった…)
早速、長崎を知ってそうな友人に聞いた。
友人AはGoogleマップや写真を見ながら、
『長崎ってほら、坂が多い街だよね!いい所だよ!』
(こ、これは行った事のない人間の言うセリフだ…)
(しかもその情報は俺でも知っている!笑)
しょうがないので両親が五島出身という後輩にも聞いてみた。
『オーセさん、長崎はマジ半端ないよ!すっごくいい所!魚がめっちゃうまいから!あ、でも最後に行ったのは小学校の時だなぁ…』
(チキショウ!!最新のデータが欲しいんだ俺は!!泣)
もう頼みの綱はあそこしかない。
何でも知ってる行きつけのコーヒー屋さんに惜別の挨拶に行った。
オーナーは不在だったがオーナー夫人とお話をした。
『あら、長崎に?アタシ行った事ないんだけど、友人が長崎に移住したのよね。とってもいい所だって言ってて、永住するって言ってたよ!長崎に移住してから一回も東京に戻って来ないのよね〜』
(何?!同じく移住をした人が?二度と故郷に帰ってこないくらい良い所なのか!!!)
あんな事やこんな事、東京では色んな事があったなぁとかぼんやり思い還していたら、あっという間に東京を離れる日を迎えた。
そして12月11日。
オーセ、長崎初上陸!!
(次回、オーセ長崎県民と初めてのふれあい編)
オーセ自己紹介
1988/10/21 生まれ B型自由人 26歳までを青森県弘前市で過ごす。
小中は野球と陸上、相撲に勤しむ。
弘前学院聖愛高校時代は硬式野球部に所属し、
田中将大(駒大苫小牧)、坂本勇人(光星学院 現八戸学院光星)と対戦する。
陸上自衛隊弘前駐屯地に入隊し、冬の師団訓練で凍死しかける。
守衛当番だったある日、詰所に置いてあった週刊誌の占いに、
『天秤座のあなた、転職すると運気アップ』 を真に受け、転職。
6年半のサラリーマン生活を経て、
BlueBottleCoffeeJapanに入社。
2年の勤務後、CoffeeWrights蔵前に入社。 放浪期間に長崎移住の話を提案され、一念発起。
現在は長崎県長崎市民。