長崎のとある場所に、緑の中に隠れるように建っている洋館があります。この建物は100年以上も前からあり、三菱重工業に関係する祝賀会や、大切な人を接待する場所として使用されてきました。今も三菱が管理しているため一般の人が入ることは出来ず、詳しい住所は秘密のままです。

今回は2015年に世界文化遺産のひとつとして選ばれた「占勝閣」(せんしょうかく)が、一体どんなところなのかをご紹介していきます。非公開施設のため大まかな情報しか書けないこともありますが、最後までお付き合いください^^

占勝閣が建設された目的とは?占勝閣ってどういう意味?

日本人設計の西洋近代建築

画像引用:ながさき旅ネット

1903年(明治36年)に長崎造船所所長の荘田平五郎の屋敷として建築が始まり、翌年に完成しました。しかし荘田平五郎が居住することはなく、船の命名式など祝賀会や、皇族や身分の高いお客様を迎える迎賓館として使用されました。

占勝閣の名前の由来

1905年に、軍艦千代田の艦長・東伏見宮依仁親王殿下が宿泊され、「風光景勝を占める」という意味で占勝閣と命名されました。

風光とは自然の美しい景色のことで、景勝は景色が優れている、またはその土地という意味があります。占勝閣は、長崎造船所の第三船渠を見下ろすように建っています。きっと窓からは、長崎港を独り占めにしたような美しい景色が一望できるんでしょうね^^

 

占勝閣の設計や見た目について

曽禰達蔵(1852~1937)

画像引用:唐津市

占勝閣は慶應義塾大学図書館の設計を手掛けた、当時三菱で働いていた建築家の曾禰達蔵(そね たつぞう)が設計をしました。頂上がとがって大きく突き出ており、暖炉の煙突なども特徴的です。曾禰達蔵は独立してから慶応義塾図書館旧館(1912年)の設計にも携わっているのですが、設計士として推薦したのは荘田平五郎と言われています。長い間、三菱で仕事をしていた曾禰達蔵を信頼していたのでしょうね。

占勝閣の造りはどうなってるの?

占勝閣は当時の状態を保つために、今も三菱が管理しています。とても立派な外観の占勝閣ですが、一体中はどんな感じなんでしょう?非公開施設なので写真などがありませんが、大体の造りは公表されています。洋風の木造2階建てで煉瓦造りの地下があり、建物の広さは123坪ほど。

【1階】
食堂・応接室・書斎がある。

【2階】
寝室や、ホールがある。

【地下】
厨房が備えられている。

玄関には1913年(大正2年)に、中国では革命家と言われる政治家の孫文が書いた「占勝閣」の文字が飾られているそうです。日常で使用する家具などの日用品は、当時の最高級英国製品を輸入し揃えたそうですよ。最高級英国製品・・・一般人にはどんなものか想像がつきません(笑)とにかく、外観も内側もとても拘っていたようですね。

三菱重工業の史料館に展示されていたものとは?!

長崎デスティネーションキャンペーン特別企画

画像引用:ながさき旅ネット

2016年に三菱重工業 長崎造船所史料館(旧木型場)で、占勝閣で使用されていた銀食器やガラス食器などが展示されたことがありました。期間限定だったのが残念です!!またいつかの機会に展示されるといいな~。

この三菱重工業 長崎造船所史料館も、占勝閣と同じ2015年に世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産に登録されています。三菱の150年以上のこれまでの歴史が見れるので、こちらも要チェックですよ!

 

なぜ非公開施設?どんな時に使用されているの?

最初の方で少し説明しましたが、現在も迎賓館として使っているため非公開施設になっています。三菱の従業員ですら、定年退職するときにの一度だけしか見学できません。その見学の時ですが、どうやら中でお食事もしているようです。見学という意味より、定年まで頑張って働いた人を招待しているという方が近いのかもしれませんね。う~ん、これは世界遺産になっていなかったとしても羨ましいです。

三菱の敷地内にあるので近くで見ることもできませんが、岩瀬道町バス停から緩く上がる道を登っていくとちょっとだけ占勝閣を遠くに見ることができます。

 

いかがでしたか?限られた人しか見ることができず、外観や歴史もちょっとミステリアスな占勝閣。全てを見ることはできませんが、近くを通ることがあったら眺めてみてくださいね♪